≪大切便り≫ぼくと畦道

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footpath between rice fields
目次

大切便りとは

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「大切便り」は、シニア世代とその家族に向けて、思い出や日々の暮らしを“手紙”のように届けるコラムです。

みなさんの心に寄り添い、「自分の大切」を思い出すきっかけになることを願っています。

おはなし人

田中 誠さん(54歳)

都会で会社員として働くかたわら、休日にはランニングや読書を楽しむ。
子どもの頃は祖母の家に通うあぜ道が大好きで、その記憶は今も人生の支えとなっている。
二人の子どもの父でもあり、自らの原風景を子どもたちに伝えていきたいと願っている。

あの匂い

小学生の私は、祖母の家に行くとき、必ず田んぼのあぜ道を選んだ。
舗装された大きな道もあったけれど、そこを通るより、草の匂いがする土の道の方がずっと心が弾んだ。

夏になると、あぜ道は青々と茂った稲で囲まれ、風が吹くたびに波のように揺れた。
ザザッと音を立てる稲の葉と、どこからか聞こえるカエルの声。
それは私にとって、ちょっとしたオーケストラのように思えた。

靴に土がつくのも気にならなかった。
むしろ、それが「冒険をしている証拠」のようで誇らしかった。
夕方になると、黄金色に染まった道を歩きながら、胸の中がワクワクでいっぱいになった。

祖母の家へ続く道

あぜ道を抜けると、木造の祖母の家が見えてくる。
瓦屋根の向こうには煙突から細い煙がのぼり、台所からは煮物の匂いが漂ってくることもあった。

縁側に座った祖母は、いつも私を見つけると笑顔で手を振ってくれた。
「おかえり」
その一言を聞くと、私はもう我慢できずに走り出した。
ランドセルを揺らしながら、土の道を駆け抜けて祖母の腕に飛び込む。

祖母の手は少しざらついていて、畑仕事の跡が残っていた。
でもその温もりは、不思議なくらい安心をくれるものだった。
祖母の笑顔に包まれると、どんな小さな悩みも吹き飛んでいった。

あの日の道が教えてくれること

大人になった今、同じあぜ道を歩くことは少なくなった。
アスファルトに囲まれた都会で暮らす日々の中では、あの草道や稲の匂いを思い出すことさえ難しい。

けれど、ふとした瞬間に蘇る。
夏の夕暮れに風が吹いたとき、土の香りが混じったとき、私は小学生の自分に戻る。
ランドセルを背負い、祖母の家へ続くあぜ道を歩くあの感覚。

あの道は、ただ祖母の家へと続く道ではなかった。
私にとっては「大切なものへとつながる道」だったのだ。
今思えば、その感覚が今の私を支えている気がする。
忙しさに追われて立ち止まることを忘れてしまいそうなとき、小さな頃の自分が心の奥でそっと語りかけてくる。
「大切なものは、すぐそばにあるよ」と。

読者のみなさんへ

子どもの頃に歩いた祖母の家へ続くあぜ道は、今では景色もずいぶん変わってしまいました。
けれど、あの道で感じた土の匂いや、祖母の笑顔に迎えられたときの安堵感は、今も心に残っています。

忙しい日々の中で、時には大切なものを見失いそうになることがあります。
でも、あの道を思い出すたびに「立ち止まってもいい、忘れたくないものがここにある」と、自分を取り戻すことができるのです。

ココレス編集部からのひとこと

田中さんの思い出に出てきた「あぜ道」。
誰にでも心の奥に残っている“自分だけの道”があるのではないでしょうか。
忙しい毎日だからこそ、少し立ち止まって振り返ってみる時間を大切にしたいですね。

素敵な想い出をありがとうございました。

※本記事はプライバシー保護の観点から、登場する名前や人物設定はすべて架空のものです。ただし、綴られた想いの核心は実際の体験や声に基づいています。